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レブカでのいい話

先日訪問したレブカで面白い出会いがあった。

レブカには1960年代に日本資本の水産加工場が建設され、日本から派遣された多くの工場技術者がレブカに駐在していた。
当時駐在していたN氏がレブカを37年ぶりに再訪しており、偶然にも僕と宿泊先が一緒だったのである。
N氏は当時17年間レブカに滞在し、奥さんは子供をレブカで出産し、子供もレブカで育ったという。
N氏は認知症を患っていたが、レブカで5歳まで育った娘さんが、是非もう一度N氏にレブカを見てもらいたいと考え、今回の家族旅行(N氏夫妻、娘さん夫婦とその娘2人の6人での旅行)を計画したという。

N氏の帰還を聞きつけたオバラウ島中の仕事仲間や友人がバナナやパパイヤを手土産に宿泊先を訪問し、N氏を囲んで思い出話に花を咲かせていた。驚くことに、N氏が認知症とは思えないほど様々なフィジー語をしゃべっていた。頭ではなく心に言葉が刻み込まれているかのよう。
僕も少し輪の中に入れてもらい、彼らが持ってきた当時の写真を眺めながら、如何にN氏一家が現地の生活に溶け込み、現地の人たちに愛されていたかを語ってもらった。
街を歩けば、「お前はNの家族か?」との質問を何度も受けた。
また、帰りの飛行場まではN氏一家と一緒に移動したが、道路沿いのコミュニティからも人がお見送りに出て来ると共に、すれ違う車も止まってN氏との別れを惜しんでいた。

N氏の奥さんによると、当時のレブカはもっと小ぎれいだったため、時が経って少し廃れた印象を持ったようで残念に感じたとのことだったが、レブカに住んでいる人たちは変わることが無かったことを嬉しく思っているとのこと。

N氏と僕の仕事の性質は違うが、フィジーのためという目的は一緒である。
そういう仕事をやり切った人、家族、その関係者たちの姿を目の前にして、人と人のつながりの強さを感じると共に、僕もこういう生き様を残してみたいと強く思った。

2013年の締めとしては最高の出来事である。

ちなみにこれが現在の水産加工場で、ここで製造されたツナ缶にはいつもお世話になっている。

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2014-01-09(Thu)
 
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